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韓国インディーズ音楽との出会いのきっかけを届ける「Bside K-Indies Series」仕掛け人の思いに迫る|INTERVIEW #16

小さな音楽ムーブメントが花咲こうと必死にうごめいている。「Bside K-Indies Series」は、韓国の実力派アーティストを日本国内に紹介するレーベル〈Bside〉が展開している7インチレコードリリース企画だ。第1弾ではADOY、SE SO NEON、WETTER、第2弾ではThe Black Skirts、SURL、OurR、第3弾ではSummer Soul、Luli Lee、Yoon Jiyoung、第4弾ではStella Jang、Sunwoojunga、Minsuと、約2年間に渡ってこれまで12組のリリースを行ってきた。第3弾からは、「3つの新鋭ミュージック」「3組の韓国アーティスト」「3枚の7インチレコードを一斉リリース」という意味を込めて、「B333」という新しいブランドで韓国インディ・シリーズ・プロジェクトを展開している。

BUZZYROOTSでは、第2弾リリース時から、セレクトされたアーティストのインタビュー、関連資料、動画の翻訳等を微力ながらサポートさせていただいている。

今回は、本企画の仕掛け人、〈Bside〉代表のキム・ソニ氏にインタビューを敢行。ソニ氏の韓国での音楽体験やキャリアの話を通して「Bside K-Indies Series」始動に秘められた思い、そして戦略を紐解く。兼ねてより取材依頼を申し出ていたのだが、ようやく堅い口を開き興味深い話を聞かせてくれた。

やっとやりたかったことが叶った。
カタルシスを感じたOOHYOとの出会い

ー早速ですが、ソニさんのこれまでのキャリアについて教えてください。

最初は〈Being Music〉という日本のレーベルからキャリアが始まりました。働き出してから、韓国でJ-POP自体を公に聴くことができなかった時代もあったのですが、その後日本で空前の韓流ブームが訪れ、〈KAKAO M〉(旧:LOENエンターテインメント)の日本支社でIUやHISTORYといった韓国アーティストの日本進出のサポートをしていました。〈KAKAO M〉には長い間いたのですが、ラッキーなことにアーティストと関わる機会が多く、楽しく仕事をさせてもらいました。

ーそもそもどういった理由で音楽業界に入られたのですか。

私はもともとロックが好きで、特にオルタナティブ・ロックやシューゲイザーが好きなんです。高校時代には、日本のビジュアル系ロックバンドのX JAPANやLUNA SEA、L’Arc〜en〜Cielもよく聴いていました。一方でマイケルジャクソンが好きだったこともあり、そこから聴く音楽のジャンルが広がり、今でこそHIPHOPやEDM等、ジャンル問わずいろいろ聴いています。Corneliusなど渋谷系もよく聴いてました。

〈KAKAO M〉ではIUをはじめとしたメジャーアーティストのマーケティングを仕事としてきたのですが、メジャーで培ったノウハウをロックバンドに転用することでもっといろんな人にロックが届くんじゃないかと思っていました。ただ、なかなか韓国でロックバンドの音楽を売り出すのは難しく、社内で提案しても結局売れる見込みの高いメジャーアーティストにみんなの意識が向きがちでした。そんな状況が続き、いつか自分でレーベルを立ち上げたいという思いが育っていきました。

韓国では、デジタルシフトがかなり前から進んでおり、〈KAKAO M〉が運営するMelonを始めとした配信サイトがメジャーになり、配信チャートで上位に入る曲が面白くなって。K-POPアイドルの曲だけでなく、10cmや赤頬思春期など、耳馴染みの良いインディーズアーティストの良曲がチャートの上位に上がってくるようになったんです。その流れで〈KAKAO M〉がインディーズレーベル〈文化人〉を配下に置くようになりました。

その時、私は〈KAKAO M〉の日本支社担当でOOHYO(ウヒョ)という韓国の女性シンガーソングライターを担当することになりました。LUCKY TAPESのKaiさんと「PIZZA」のRemixを出したり、StarRoさんに「SWIMMING」「RAMEN」のプロデュースをしてもらいました。

ー日本で初めて携わったインディーズ案件がOOHYOだった訳ですね。

そうですね。前から日本と韓国のアーティストのコラボレーション企画をやりたいと思ってたのですが、なかなか結果に繋がらず悶々としていた中、OOHYOの企画にすごくカタルシスを感じたんです。やっと私がやりたかったことが叶った、と。日韓のアーティストの役に立てたことがすごく楽しくて、自分の会社を立ててきちんと力を入れてやりたいという思いが強まりました。

この頃〈KAKAO M〉は大きく体制が変わった時期だったのですが、当の私は音楽制作に関わりたいという気持ちが強まり、ちょうどその時お声掛けいただいた〈TOY’S FACTORY〉に移って日本のアーティストのプロデュースをすることになりました。〈TOY’S FACTORY〉の傘下で自分のレーベルの立ち上げも考えていましたが、やはり自分で自分の会社を立ち上げた方が好きなアーティストを手掛けることができると思いました。

ーそれで会社設立に至ったと。

はい、そこから音楽業界に入った時からずっと夢だった自分のレーベル〈Bside〉をようやく立ち上げました。計画より10年遅れてのレーベル設立となりました。

ー話は遡りますが、学生の時の専攻は何だったのでしょうか。

日本語・日本文学、マスメディア(新聞放送学)を専攻していました。韓国では、大体新聞放送学出身の人がTVのディレクターになったり、メディアに関わったりします。もともと私の夢は、音楽番組のディレクターだったんです。私が学生の時はダンスミュージックがブームで、韓国ではバンドが目立つような音楽番組がなかった。韓国の音楽番組は基本全て生放送なので、バンドという形態はダンスミュージックと比べて生放送に対応させるのが難しいんです。バンドに向いてる生放送音楽番組を演出したいという夢があって、マスコミ系に興味を持ちました。

ーなるほど。日本語・日本文学を専攻したのはなぜでしょう。

当時アニメなど、日本のカルチャーに対して強い興味関心がありました。父が貿易関連の仕事をしていて中国と深く関わっていたので、将来性を考えて中国語を勉強して欲しかったみたいですが(笑)。日本語については、もともとアニメで聞き慣れていたこともあり、専攻したことで火がついてさらに勉強することになりました。日本に留学にも行くことになりました。

ー「韓国インディーズ」のソニさんがアニオタだったとは驚きです。

今、日本の皆さんがBTSを聞いているような感覚で、日本文化の存在感が自分の中で大きかったんです。韓国でオタ活をしていた時はまだ日本文化が全面解放ではなかったので、日本の楽曲は海賊版でしか手に入らず、5,000円でCDを買ったりしていました。当時韓国ではCDが800円、900円で買える時代だったので、高額なCDを買っていた私は今思い返してみても完全にオタクですよね。私は普段 “一般人コスプレ” をしているのですが、実はアニオタみたいな一面があります(笑)。

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AKARI

AKARI

エディター|ライター

1994年生まれの自称、韓国音楽PR大使。インディペンデントな韓国のミュージシャンや業界人を中心にインタビューやコラムを執筆。「韓国の音楽をジャンルレスに届ける」をモットーに、韓国インディ音楽に特化したWEBマガジン「BUZZY ROOTS」の運営や、音楽・カルチャーメディアへの寄稿、広報、DJイベントへの出演、アーティストのアテンドなど、できることなら何でも形を問わず行なっています。プライベートでは、韓国人の夫と結婚し、二人の子どもを出産。子育てをしながら東京とソウルを行き来しています。

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