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前作から6年。待望の4作目『The Fragrance of Life』を携えて帰ってきたKwon Tree(クォンナム/권나무)は、2026 第23回 韓国大衆音楽賞で「最優秀フォーク・アルバム賞」「最優秀フォーク・ソング賞」の2冠に輝いた。
栄えある授賞式の壇上、彼は喜びと戸惑いが入り混じった表情で、自身を「プレゼントを上手く受け取れず、心が重くなってしまう子供」に例えた。そして「音楽のおかげで、どうにかまともに見える人生を歩んでこれた」と、これまでの10年を振り返り、音楽への深い感謝と責任を口にした。
華々しい脚光を浴びる一方で、彼は小学校の教壇に立ち、父として日々の生活を営む「生活者」でもある。限られた条件の中で、自分らしく表現を続けること。それによって他者を理解し、自分を愛すること――。彼が授賞式で語ったメッセージは、まさに今作に漂う「生の香り(The Fragrance of Life)」そのものだ。
受賞から少し時間が経った今。改めて彼が語る音楽への想いや、空白の6年間にあった心の葛藤、そして「生活者であり表現者」である彼の現在地に耳を傾けた。
Interview & Text:AKARI(BUZZY ROOTS)
4thアルバムの結実、1枚の作品へと繋がった瞬間
—— 4thアルバム『The Fragrance of Life』の構想はいつ頃から練り始めたのでしょうか? アルバムのコンセプトを決めるにあたって、何か決定的な出来事はありましたか?
2019年に3枚目のフルアルバム『New Day』をリリースした後、ほどなくして自然と次のアルバムを構想し始めたのですが、自分自身が十分に納得できるような良い作業にはなかなか繋がりませんでした。
何かを作るプロセスには、その種類や性質によってそれぞれに合ったやり方があると思いますが、こと音楽に関しては、あらかじめ計画された手順やスケジュールに沿って進めるやり方が私にはどうも合わないようです。音楽作りにおいて時間的なプレッシャーを大きく感じたくありませんでしたし、実際、私の性格的にも「早く何かを作り上げなければならない」ということに対して、焦らずにいられた部分がありました。
振り返ってみるとそれは、「自分が作りたいからといって、良い作品が作れるわけではない」という私なりの受け入れから来ていたのだと思います。ただ、それが単に「何かが出来上がるのを待つ」というような受動的な態度というわけではないということはお伝えしたいです。
少し大げさに聞こえるかもしれませんが、私はある特別な「刹那」や「瞬間」といったものが、本当に重要だと考えています。世間ではそうした煌めきの瞬間を「インスピレーション」と呼ぶのかもしれませんが、創作のための輝かしい瞬間というのは、ただじっと待っているだけで向こうからやってくるものではないと思うのです。
イメージや思考、表現したい感情や情緒、あるいは物語など、創作のモードに入っているときは、自分が感覚するものへ全神経が向いているのは確かです。ですが、あえてそれに集中しすぎたり、埋没しすぎたりしないようにすることも重要です。一気に決定的な目的地へと走り抜けて到達しようとするのではなく、周辺を散歩するようにぐるぐると見渡しながら、ふっと近づいてみたり、ときには少し離れてみたりする。そうして少しずつその周辺を自分の言葉で説明し、具体化していくプロセスが、私にとって馴染みのあるアプローチなのです。
何であれ、それを受け入れる時間が必要で、受け入れて初めてまともに動けるようになるものなのでしょう。とはいえ、すべてに膨大な時間が必要なわけではありません。ほとんどの判断は直感的に下されますが、「なぜ自分はそう考えたのか」について、自分なりの内面的な整合性を持つために、何度も噛み締めるプロセスが必要なのだと思います。


頭の中では、何かを象徴する漠然としたイメージのようなものが互いに繋がらないまま、かなり長い時間、空間の中を忙しなく動き回りながら公転しています。そうしたプロセスのなかで、あるものとあるものが衝突したり、結びつきが生まれたりして良いアイデアが浮かぶこともあれば、決して繋がることのないまま、しばらく放置されたように漂い続けることもあります。
そうした状態を自覚することは、私なりの叙事や物語の構造、あるいは、ある時期や季節の情緒といったものを音楽という表現様式で編み上げたいという強い意志があるからこそ、重要なのかもしれません。これは、私がこれまで主に「アルバム単位」での創作を続けてきた理由とも深く結びついています。私にとってアルバム作りは遥かに難しく、だからこそ意味があり、面白い仕事なのです。私のアルバムに収録された曲たちは、私にとって個別に切り離して存在させることが難しいものばかりです。それぞれのアルバムの中で並ぶ他の楽曲たちと一緒にいて初めて成り立つものであり、「必ず各自がその場所にいてこそ、全体として最も調和する」と考えています。いつもそうした光景を思い描きながらアルバムを作ってきました。
4枚目のアルバム『The Fragrance of Life』を制作するときも同じでした。3枚目をリリースしてからの6年間、ライブ活動はずっと絶え間なく続けていましたが、その大半の期間、心が満たされるような創作はできませんでした。とはいえ、創作を休んでいたわけではありません。アルバムに収録できるクオリティの曲は、優に40曲は超えていたと思います。ただ、それらの曲を一箇所に集めたところで、決してひとつのアルバムにはなり得なかったんです。
先ほどお話ししたように、私がいつもこのような強い信念を持って耐え抜いてきたわけではありません。「もしかしたら、永遠に新しいアルバムをリリースできないかもしれない」と思えるほど途方に暮れていた瞬間には、いっそ一度だけ何もかも見なかったことにして目を閉じ、あたかもすべてが意図されたかのように、素晴らしい意味で繋がったアルバムであるかのように、自分自身を騙してみようかと思ったこともありました。一曲一曲にそれらしい服を着せて、曲同士がまるで最初から大の仲良しであったかのように手を取り合い、笑顔で家族写真を撮るようにひとつのアルバムに束ねて、世に送り出してしまおうか、と。そんな誘惑に駆られたこともあったのです。
しかし、それは私に合うやり方ではありませんでしたし、何より私が得意な方法でもなかったため、深く悩むまでにも至りませんでした。ある意味で、これまでの私は「自分がやりたくないこと、気が乗らないこと、できないことをやらない」という方法を、能動的に選び取ってきたのかもしれません。一日一日は自分のリズムで動きながらも、引きの目で見れば、とても長い時間をそのままじっと耐えるタイプだったのです。

少し想像してみてください。曲たちがそれぞれ頭の上に輪っかを浮かべ、暗い空間の中に散らばって漂っている姿を。曲たちは間違いなくそれぞれの色でカラフルに彩られているのですが、あまりにも暗く広い空間にぽつりぽつりと散らばっているため、ぼやけてよく見えませんでした。
そんなある夏の日、私はついに、最も重要となる一曲を作ることになりました。その曲が、まるでプレゼントのように私の元へ舞い降りてきてくれたのかもしれません。曲のスケッチを素早く終えたとき、私はすでに確信していました。「これでいける!」と。
その曲は、自分の体の端に長い糸をなびかせながら暗闇の中を素早く自由に飛び回り、長らく遠く離れて散らばっていた楽曲たちの色とりどりの輪っかを、一瞬にして軽快に貫き、繋ぎ合わせていったのです。長い間、私の周りをぐるぐると巡っていた断片たちが一つに繋がり、解消され、消化され、息を吹き返し、意味となり、方向性となり、目的となり、結論となる――そんな、とても明るく鮮やかな夜でした。
その日を境に、私はようやく本格的なアルバム制作に着手することができました。それ以降の作業プロセスにおいて、迷ったり躊躇したりすることは一度もありませんでした。その鍵となった楽曲こそが、アルバムの10曲目に収録されている「Youth(청춘/青春)」です。
最近の僕は 広い野原にしばらく寝転んだまま
誰の目にも映らないけれど
愛しているなら ただ歩いていくよ
問い返すことなく
—— トラック10「Youth(청춘)」より
創作の始まりとは、「刹那」を捉えること
—— 歌詞の中での言葉選びや、言葉の運び方がとても素敵でした。まさに「The Fragrance of Life」というタイトルに相応しい、生活の中のささやかな幸せや真理のようなものに気付かされるような奥深い歌詞ばかりでした。淡々と積み重なっていく小さな事実の羅列がいつの間にか大きな意味を成し、人生を形作っていく、そんな構成のようにも感じたのです。どのような意識で歌詞を紡いでいったのでしょうか?
私の場合、どんな曲であれ、最初の創作はある一瞬(刹那)に訪れます。過ぎ去ってみるとその瞬間の記憶は曖昧なのですが、その刹那を包み込んでいた空気――例えばその日の雰囲気や部屋の明るさ、空気の湿度、窓の外で揺れる木の枝の色、日が沈んでいく時間帯といった当時の風景は、今も私の中に鮮明に残っています。創作の始まりとは、もしかしたらその刹那を捉えること、一瞬の勝負なのかもしれません。
もちろん、ペンを持った瞬間に一気に書き上げて完成させる創作もあるでしょう。ですが、大抵の創作は、その刹那を捉えることから始まり、それを拡張していったり、しっかりと掴んでより深い場所へと流れていったり、あるいはその真逆の方向へと果敢に飛び越えてみたりすることの連続だったように思います。何かを掴み取ったのなら、それをきちんと終わらせる方法も知らなければなりません。そういう意味で創作とは、勇気で始まり、責任で終えるべき仕事でもあるのです。
一方で、その刹那に私が捉えることのできた的確な歌詞の言葉があったとするなら、それはおそらく、普段から私がその言葉たちや、特定の思考、観念、あるいは問題意識、居心地の悪さ、引っかかる感情、あまりにも安楽で惹かれてしまうものたちの周辺を、あてもなくぶらぶらと巡っていたおかげかもしれません。何かに没頭してあまりにも深い思考に沈み込むことは、私にとって馴染みのある習慣ではありません。しかし、重要だと思う何かを簡単に忘れず、長い時間をかけてその周辺をゆっくりと散歩するように巡ることは、私にとって非常に馴染みのあるアプローチです。
そうやって対象の周辺を「ぶらぶら歩き回ること」は、人生をもう少し主体的に生きる手助けをしてくれます。なぜなら、それこそが自分のリズムで行うことだからです。周辺を歩いていると、それが私をさらに強く引き寄せるにせよ、私がそれに向かって近づいていくにせよ、距離を調整していくプロセスを経験することになります。その中で思考の層が多層的に作り上げられたり、本当に感心を持っていないものからは自然と遠ざかったりします。心の中で、ある種の「真実」を確認する時間を与えてくれるのです。
何であれ、自分の言葉、自分の感覚で消化する時間を持つことが大切です。自分を巻き込んでいるテーマや感情、特定の観念について、あまりにも急いで結論を出す必要はありません。判断は直感的に下すとしても、それを解釈する力は十分な時間から生まれます。そして結局のところ、他者とのコミュニケーションや音楽的な言語での表現も、十分な時間の中で生まれてこそ、少しのゆとりと深みを持てるのだと思います。
複雑な物事の多くは、時間が経てばシンプルに整理されるものでした。複雑なものはそれ自体で複雑なのでしょうが、その複雑なものたちの間を心地よく散歩するように歩く優雅な人を思い浮かべています。
君の心の中に 深い夜があるのなら
それは僕の心の中にも きっとあるということ
僕の心の中に 輝く星があるなら
それは君の心の中にも きっとあるということ長く抱えた悲しみを語り続け
目の前の喜びから目を背ければ
目の前の喜びは消え去って
長く抱えた悲しみだけが残り続けるんだ—— トラック03「Inside Your Heart(너의 마음 속에)」より
手を切りそうなほど鋭いのに 涙を浮かべた瞳
崩れ落ちそうなほど揺れながら 叫びを上げていた口
—— トラック11「Afterimage (Echoes We Write To)(잔상)」より
掴むべきものは自然に掴み、手放すべきものは自然に手放す
—— 環境音をサンプリングした「Everyday Life」からの、最終曲「To Us」に至るその流れが大変印象的でした。「生活」を想起させるような自然の音や子供たちの声などが登場し、アルバムの良いアクセントになっていると思います。これはクォンナムさんの普段の生活で聞こえてくる音なのでしょうか? フィールドレコーディングした際の印象的なエピソードがあれば、お聞かせください。
私の好きな季節に、ボイスレコーダーのスイッチを入れてシャツのポケットに忍ばせ、歩いて通勤しました。そこには、一日の始まりを告げる音と、終わりを告げる音が収められています。職場が学校なので、子どもたちの瑞々しい声や、日常の生活音を記録しておきたかったのです。遠い未来、もし私がこの仕事を辞める日が来たとしても、この音を聴き返せば、あの朝の風景がありありと蘇るはずですから。ほかにも、レコーディング期間中によく通ったお気に入りの食堂の音や、家族との通話の声も入れました。娘の幼い声も少しだけ残しておきたかったのです。

質問の意図とは少し逸れてしまうかもしれませんが、このレコーディングにまつわる、あるエピソードをお話しさせてください。アルバム制作のために、私は毎週末、自宅から車で4時間ほどかかる場所にあるスタジオに通っていました。本当に過酷なスケジュールでしたが、どうしてもそうしなければならなかったのです。
アルバム制作もいよいよ大詰めを迎えたある夜、遅い時間にレコーディングを終えて家へ向かっていたところ、まるで何かに取り憑かれたかのように、大きな交通事故を起こしてしまいました。運転していた車のフロント部分が原形をとどめないほど大破するほどの凄まじい事故でしたが、本当に運が良く、奇跡的に大きく怪我することはありませんでした。私は迷信のようなものを信じるタイプではありませんが、理性や論理だけでは説明のつかない領域に対しては、関心と敬意を持っています。
驚かせてしまった家族には申し訳なくて、当時はまともに話せなかったのですが、時間が経った今だからこそお話しできます。ドン!と衝撃が走った瞬間、私は恐怖や不安を覚えるよりも、まるで「来るべきものが来た」という、どこかひんやりとした解放感のようなものに包まれたのです。
4thアルバムを制作している間、私はずっとある種の運命的な流れのようなものを感じていましたが、それを口にした瞬間、すべてが狂ってしまいそうで、慎重になりたいあまり、誰にもそのことを話したことはありませんでした。作業が終盤に向かうにつれ、すべてが一つずつ穏やかに整理されていく一方で、私の心の中では、風船が膨らみ続けて今にも破裂してしまいそうな、息苦しい感情も同時に大きくなっていたのです。それは両立しがたい矛盾したふたつの感情で、自分一人ではうまくコントロールできませんでした。ただ、自然に身を任せつつ、慎重に過ごそうと心がけていました。そんな矢先にあの事故が起きたんです。
目の前に大きな車が迫り、鉄の塊がひしゃげるあの音が響いた瞬間、膨らみきっていた風船が「パン!」と弾け飛んだような気がしました。まさに九死に一生を得るような大事故から這い出し、事故の処理を終え、昇ってくる朝日を見ながらトボトボと家へ帰りました。そこには、平和に眠っている家族の姿がありました。私にとって、「新しい一日」が始まるかのような瞬間でした。
韓国には、良いことを控えているときに不運に見舞われると、「良い日を迎えるために、悪い気をあらかじめ落としたのだ」と捉える『액땜(エッテム=厄落とし)』という言葉があります。悲しみや不幸に直面した人を慰め、再び前を向いて歩き出せるようにと願う、先人たちの知恵なのかもしれません。あの日の大事故を乗り越え、アルバム制作を無事にやり遂げることができてよかったですし、感謝の気持ちでいっぱいです。今振り返れば、運転中に思わず魂が抜けてしまうほど、すべての心血を注ぎ込んで作品と向き合っていたのだなと思います。
君の中の揺らぎを
君の中で息づいているものを
空っぽな心の中でも
変わらない何かを
—— トラック13「To Us(우리에게)」より
—— アルバムの紹介文には、「多くのものがあまりにも速く変化し、気づけば少しずつ時代から外れていっている、そんな感覚があります」とあります。4thアルバムでご自身が成し遂げたかったこと、あるいは表現したかったことは何だったのでしょうか。そしてこれからも音楽において「変わらないもの」と「変わっていくもの」があるとすれば、それは何だと思いますか?
多くのことが以前のようにはいかなくなっていると、最近少しずつ感じています。かつては当然のように持っていたものが、いつの間にかうまく機能しなくなっていると気づく、そんなときです。名残惜しさや、ふとした寂しさを覚えることもありますが、その一方で、心のどこかがむしろ穏やかに、明るくなっていくのを感じたりもします。いずれ訪れるものだと、あらかじめ静かに待っていたような、そんな感覚でしょうか。
しかし、はっきりさせておきたいのは、「すべては自然の流れだから」とか「山は山、水は水」といった、諦めや達観の境地を語りたいわけではない、ということです。受け入れるべき現実があるのなら、まずはありのままに認め、受け入れた上で、その中で自分なりに新しく作り出せる流れを見つけること。それこそが重要だと考えています。
人生とは、もしかしたら永遠に、一歩また一歩と、少しずつ後ろへと退いていくプロセスなのかもしれません。私たちが長く記憶に留めている「良い日々」とは、そうしてゆっくりと退いていく途中でふと立ち止まって景色を眺めることができた、美しい刹那の瞬間なのではないでしょうか。もちろん、その時々の自分や私たちは、その瞬間にふさわしい何かを必死に掴み、育み、退かないように守り、耐え忍びながら、強くまっすぐな心でその瞬間を生き抜く。それこそが、人生や愛に対する然るべき誠実さであり、人間性への敬意だと思うのです。やがて枯れてしまうと分かっていても、咲かない花がないように。私の音楽の中で、もし「変わらないもの」があるとするなら、それは私自身。そして「変わっていくもの」があるとするなら、それもやはり私自身でしょう。音楽とは結局のところ、自分という存在を映し出す器でしかないと考えているからです。私の中にもまだ、「一度くらいは大きく変わってみたい」という変化への熱望はあります。ただ、望めばすべてが手に入るわけではないことも分かっています。自分自身のスピードと時間に寄り添いながら、掴むべきものは自然に掴み、手放すべきものは自然に手放せる、そんな人生を歩めたらと思っています。
急速に変化する時代について、私が特に申し上げられることは多くないように思います。どれほど時代が変わろうとも、変わらないもの、失ってはならない何かを大切にする姿勢も重要でしょう。その一方で、変化していく時代の潮流をよく捉え、何がどこへ向かおうとしているのかを理解しようとする姿勢も同じように大切だと思います。何かを守ろうとする心であれ、潔く変わってみようとする心であれ、どの道を選ぶにせよ、ただ巨大な波に流されるように「流されるままの選択」や「安易な選択」だけはしないでほしい、と願っています。
個人の人生の変化であれ、時代や社会的な変化に対する認識であれ、自分自身のスピードと方向性を信じて、まっすぐな心で進んでみることが重要ではないでしょうか。たとえ少し的外れな結論にたどり着いたとしても、自分自身の道を誠実に歩んできたのであれば、何をどう振り返るべきか、何が最も重要だったのか、そして次はどこへ向かうべきなのかを、よりはっきりと察知できるはずです。
音楽活動や創作、そしてアルバム作りもまた、そうした人生の態度の上で、私なりに選択して歩んできた道であり、この瞬間も歩み続けている場所なのです。今、私が感じているこのすべての感覚も、いつかは次第に枯れていくのでしょう。そういう意味では、今この瞬間こそが、ふと立ち止まって眺めることのできたありがたくも美しい人生の風景であり、鼻先をかすめるほのかな「人生の香り」なのかもしれません。
一度、外へ出て歩いてみればよかったのに
時にはあまりにも長く閉ざされたまま
吹いてくる風に大きく伸びをして
闇が深くとも 僕はもっと鮮やかに語ろう
—— トラック07「Close By(가까이에)」より
どうにか待ち続けること 僕が誰に出会おうとも
目に映るものから少しずつ深まっていく術
所有しない愛が生み出した真実
目を閉じれば きらめく子どもたちの遊ぶ声
—— トラック09「New Year(새해)」より
