きっかけは単純で、ディスクユニオンのTwitterで流れてきた投稿だった。知らないアーティストだったが惹きつける要素は十分過ぎるほどあった。韓国出身のSSWであること、スフィアン・スティーヴンスの名前が挙がっていること…自分の話になってしまうので大変恐縮だが、自分のバンドのことを「モダンフォーク」と表現している身としては聞き逃せないものばかりだった。要は見事に宣伝文句に打ち抜かれたとも言える。しかし、それらよりも大きなものがあった──ジャケットである。

美しいジャケットだな、と率直に思った。顕微鏡を覗き込んでいる少年が左側に位置していて、それ以外は全て余白だ。一番初め、少年が手にしているものはポラロイドカメラだとばかり思っていた。実際にLPを手にしてから単眼鏡だと再認識したのだが、よくよく見ていくとそれも違う。それは小学校で使うようなシンプルな構造の顕微鏡だった。間違いなく自分の手で触れたことがある重い金属製のそれ、その冷ややかで少しざらついた手触りを今でも思い出すことができる。それに付随して幾つかのことを思い起こした。ここに書き落とすほどのことでもない些細な物事である。ともかく非常に詩的で、解釈を聴き手に委ねていることがよく分かるジャケットだった。そして、その顕微鏡はこちらの内面を覗き込んでもいる。
実際の音楽もそういう意図を随所に感じさせるものであった。美しく凛とした空気感と繊細な構成、穏やかなサウンドが綿密に編み込まれている。ハイトーンの歌声からは儚さを感じ取らずにはいられないし、アコースティックギターの音は然るべき位置にきちんと座っている。ダイナミクスとは別種の存在感があるサウンドであり、雄弁だけれど無口というような印象も持った。メロディに音響、細かく目配せされたアレンジからは職人気質な姿勢も感じる。総体としての音楽はごく個人的なものとして響くが、同時に多くの人に共感を呼び起こしていく。聴き手に内省を求め、それぞれが抱える内的な箱庭の共通点を繋ぎ合わせていくためのもの、言い換えれば「傷を共有する」ためのもののようでもある。聴き終えた後も美しい余韻が、あるいは余白が続く音楽だ。
しかしながら、当のアーティスト本人も音楽やジャケットと同じように余白を抱えていた──Kimbanourke(キムバヌーク)という名の人と『Binjari』という作品に関する情報は極めて少なかった。日本語は疎か、韓国現地での情報もなかなか見つからなかった。そこでBUZZY ROOTSのおふたりに相談し、今回のインタビューが実現した。これまで私の眼を通した彼の作品の印象に触れてきたのは、彼に投げかけられる質問の意図が明確になるかもしれないと思ったからだ。そして、ご本人はそれをしっかり汲み取ってくださっただけでなく、私の想像を裏切るような内容も飛び出してきた(プログレ!)。彼自身の思考や洞察、不安感に近しい感情の揺れのようなものが創作を色付けていることもよく伝わってくる。この記事が音楽を聴く上でのガイドの一端として機能してくれたらとても喜ばしい。
インタビューに際して協力してくださったBUZZY ROOTSのおふたり、そしてレコードの制作元である京都のRECORDSHIP GG・本村さまにもこの場を借りて感謝をお伝えしたいと思う。そしてこれは個人的でささやかな願いだが、是非ともレコードでこの音楽を聴いてみて欲しい。そうすればより、音楽はあなた自身のことを語り始めると思う。
取材/構成:平野望 (dysfreesia + mihau / Babera / 珈琲とラジオのように)
編集/翻訳:AKARI(BUZZY ROOTS)
—— 今回の日本盤発売・LP化で初めてKimbanourkeを知った日本のリスナーもたくさんいらっしゃると思います。私もそのひとりでした。ですので、まずはあなたの簡単な経歴を伺ってもよろしいでしょうか? いつ頃音楽に興味を持ち始め、実際に制作や演奏を始めたのはいつ頃、そしてこれまではどのような活動をされてきたのでしょうか?
音楽に興味を持ったのは2010年、11歳のクリスマスにウォークマンをプレゼントされ、そこに父が教えてくれたクイーンの「Bohemian Rhapsody」を入れて持ち歩いたのがきっかけです。
当時小学生だった私はその曲に夢中になり、すぐにクイーンの全ディスコグラフィーを隅々まで調べ、自然と他の音楽にも夢中になっていきました。本格的に音楽制作を始めたのは19歳の時です。MacBookを買ってすぐに大学生割引でLogic Proを購入し、時々自分で曲を作るようになりました。最初の2年間の作品はピアノをメインにした作品ばかりで、アコースティックギターで音楽を作り始めたのは21歳からです。難しい曲を何度か耳コピをするうちにギターにすぐに慣れて、自分の作曲スタイルも固まっていき、今に至ります。これまでのオフィシャルな音楽活動はアルバムのリリースのみです。

—— Kimbanourkeとしての活動を始めたのはいつ頃でしょうか? また音楽性の変遷はありましたか?
Kimbanourke名義で簡単な音楽動画をアップしたのは2020年からですが、これを活動と呼ぶのは恥ずかしく、本格的な音楽活動はアルバムから始まったと言えます。私が当初目指していた音楽は、このアルバムよりももっとリズミカルで、メロディが自由に行き交う、フランク・ザッパやジェントル・ジャイアントの影響を受けた明るく慌ただしい風変わりなサウンドでした。しかし、それらの音楽はデモにとどまり、ある時を境に私の音楽の雰囲気はぐっと落ち着いたものになりました。それでも奇抜なアイデアは残っていて、それらを細かく分割したり聴きやすいように形を変えたりして、落ち着いた雰囲気の音楽にさりげなく取り入れる試みをしています。本アルバムもその試みの成果のひとつだと思っています。私の音楽は変化し続けていると言えますし、いや、実際にはまだ発展と確立の段階にあるのかもしれません。
—— 『Binjari』を聴いて一番初めに感じたことは、「言語の感覚が希薄である」ということでした。具体的に言うと、日本でもポピュラーに聴かれているK-POPにはハングル独特の訛りがあり、それが絶妙なアクセントになっているケースも多いように感じます。それに対して、あなたの音楽にはその訛りやアクセントをあまり感じませんでした。個人的にはその点もKimbanourkeの音楽全体に通じる詩的で抒情的な空気感や音楽性にも大きく影響しているように感じています。これにはあなたの発声の仕方や歌唱も大きく関係していると思いますが、ご自身ではこれらをどのように認識されていますか?
頭の中にあるメロディをできるだけそのまま表現しつつ、ぎこちなく聞こえないようにするために選んだ手段のひとつだったと考えます。(それを実現するためには)高音のメロディが必要でした。最初から何か特定の雰囲気を狙った歌い方ではないんです。メロディを表現しているうちに出てきたもので、聴く人にとってはこの発声も個性として感じられるかもしれないと思い、そのままリリースしました。改めて考えてみると、多くの人にとってこの発声が不自然だったり負担になったりする可能性もあると思います。次回は音域を低く調整し、より自然な発声法で音楽を作ってみたいです。
—— グローバルな感覚、エヴァーグリーンな感覚、特定の国籍や土地ではなく誰もがイメージとして持っている「箱庭」として音楽が綿密に設計されていると感じました。なので一聴した時にはナチュラルまたはオーガニックな印象を持つのですが、実はよく考え抜かれた都市的な音楽だなとも思います。制作にはどれくらいの期間取り組んだのでしょうか? また制作の中で最も気にかけていたり、時間をかけたポイントを教えて頂けないでしょうか?
3年前に作ったデモを再構成した最後の曲を除いて、残りの部分は2023年8月から2024年1月にかけて作りました。流れるように作り、そのままリリースしました。 特に力を入れることなく、私の一次元的な音楽のイメージそのものを、自然に楽に出せたということです。アルバムのほぼすべての瞬間がその時々に思いついた生のアイデアを並べた記録であり、45分という長さに私の時間と労力がまんべんなく注ぎ込まれています。 各トラックがサウンド的に類似しているかだけ制作の後半で少し気にしましたが、特にこだわった部分はありません。それでもアルバムがよくまとまっていると感じてもらえたなら、嬉しい限りです。
—— プレスリリースには空中泥棒(公衆道徳)とスフィアン・スティーヴンスからの影響を受けていると記載されています。それらはもちろんのこと、エリオット・スミスやフリート・フォクシーズのようなモダン・フォーク、ジェイムス・テイラーやジュディ・シルのような70sのSSWのエッセンスもあなたの音楽からは感じます。さらに突っ込んでいけば、エレクトロニカ、モダン・クラシカル、ポストロックや現代ジャズ、ニューエイジ・リバイバルやアンビエントのような音楽の影響を感じる音響的なアプローチも明確に存在しています。簡単にまとめることはできないと思いますが、(今回の作品に直接的に関係がないとしても)ご自身の音楽を形成する要素や影響源について幾つかの視点から教えて頂けないでしょうか?
このアルバムでは確かに2人の影響が大きかったのですが、私の音楽そのものが彼らの影響だけで成り立っているわけではありません。もちろん挙げていただいたジャンルも少なからず聴いていて、特に70年代のプログレッシブなポップやロックが好きでした。そもそもプログレッシブロックというのは多くの要素やジャンルを取り込んでいるジャンルですよね? どの要素がどこから来ているのかを正確に掘り下げるのは難しいことですが、私はそのジャンルや多くのサブジャンルを聴きながら、頭の中でそれらを分解し、再構築して、自分の音楽に感覚的に取り入れていると思います。
—— クレジット上では『Binjari』にはあなた以外の演奏家が載っていません。作品は全てあなたがひとりで演奏・録音したものなのでしょうか?
はい。
—— 『Binjari』ではソングライターだけでなく編曲家としてのあなたの側面も際立っています。アレンジャーやプロデューサーと呼ばれるタイプの音楽家やエンジニアからの影響もあるのではないかと思いました。ご自身で影響を受けたと感じるプロデューサーや編曲家はいらっしゃいますか? また制作にあたって、レファレンスになった他の音楽家の作品があるでしょうか?
このアルバムで影響を受けたミュージシャンは(前述した空中泥棒とスフィアン・スティーヴンスの)2組以外には特に思い浮かびません。過去にプログレッシブ・ロックでよく使われていたメロトロンの音色がとても好きなので、本作でもその音を少し取り入れてアレンジに特徴を加えた程度です。
—— 楽曲の制作はどのように進めていますか? 曲を作っている時点でアンサンブルやアレンジもイメージしているのでしょうか?
まずは携帯電話で音声録音をオンにし、思いつくままにギターのコードやボーカルのメロディを録音します。録音ファイルがある程度溜まったら、後で聴き返し、その中から良いものをピックアップして、Logic Proに貼り付けて作り込んでいきます。どの曲もそうやって始まり、最初から形が決まっているわけではなく、その時々に思いついたアイデアを追加していきます。そうしていくうちに20秒だった曲が1分になり、最終的に5分くらいになることもあります。小さなアイデアから少しずつ曲を長くしていくのは楽しいものです。曲を作っていて、途中で行き詰まり、そのまま数ヶ月放置していたものが、後になってぴったりつながるメロディを見つけて完成することもあります。そうやって作り続けていると、自然と編曲の方向性も見えてくる気がします。「このメロディはシンプルにアレンジした方がいい」とか「このタイミングにはこのパーカッションが合う」といった感じで。
—— メロディと歌詞の関係についての質問です。メロディの雰囲気や言葉の置き方から、先にあるのはメロディで後から歌詞を付けているのではないかと思いました。ですが、翻訳された歌詞を読んでいると散文的なものではなくきちんと言葉の流れや物語性もあります。実際はどのようにメロディと言葉を並べていくのでしょうか? また歌詞に関して、メッセージ性はどれくらいありますか?
歌詞もまず日記帳を開いたり、メモ帳を立ち上げて思いついたものをひたすら書いていきます。その後、書き出した中から良い部分を抜粋し、すでに決まっているメロディに合わせて、パズルを解くように少しずつ言葉を修正しながら韻を踏ませていきます。作曲や編曲よりも体力を使う作業ですが、後でモニターして韻がしっかり踏まれていると、そこには何とも言えない快感があります。僕が書く歌詞は誰かに向けた大げさなメッセージではなく、ほとんどが独り言です。たまに、ふとした瞬間に第四の壁を破る(*)ようなちょっとした悪ふざけを入れることもあります。
(訳注)演劇用語、劇中の世界(=フィクション)と観客のいる世界(=現実)との間にある壁を廃し境界線を曖昧にする行為を指す。舞台上の俳優が本来劇中にはいないはずの観客に直接話しかける、映画内の登場人物がカメラの向こう側にいる視聴者に話しかけるような技法のこと。
—— 制作における視点として「生演奏ができるか」「作品の再現性がどれだけあるか」というものがあります。楽曲を精密に作り込んだことが原因で、「ライブでは演奏できない曲になる」「完全には再現できない曲になる」ということはよく起こることです。ある程度はライブでも再現することができるようにしているのか、あるいは、あくまで作品としてのアンサンブルを追求しているのか…Kimbanourkeの音楽はその点をどのように捉えていますか? 少し違う視点から聞いてみると、もしKimbanourkeの音楽を「完全に」再現するとしたら一体何人編成のバンドになりそうですか?
ライブで実現できるように作った曲もあれば、ライブで演奏するつもりはなく、ギターの音だけ借りてきて複雑にした曲もあります。そうやってアルバムを制作した理由は、変則性を与えれば途中で没入感を損なわないと思ったからです。また、ライブで演奏できる曲と現時点では難しい曲を分けることで、ライブ用の音楽とスタジオ用の音楽・その両方を追求したかったし、それができるという自信もありました。 もちろん、アルバムをそのまま再現することも不可能ではありません。5〜6人で組んでやるのもひとつの方法かもしれません。ただ、もしこのアルバムを丸ごとライブでやるなら、完全な再現というよりは、一般的なバンドセットで演奏しやすいように簡略化したアレンジになると思います。 そうするとメンバーが1〜2人減るかもしれません。将来的にはストリングスやブラスアレンジを多用した楽曲も作りたいと考えているので、私の音楽が多くの人に受け入れられるという確信が持てたら、あるいは実際に反響があれば、10人以上の編成でのライブもやってみたいですね。一人でのライブも、大勢と一緒にやるライブも、どちらも経験してみたいと思っています。夢は大きければ大きいほど良いですよね。
—— Kimbanourkeの音楽の魅力のひとつはとても良い意味で少し閉鎖的、周囲の環境から隔絶しているように思えるところです。なのですが、いわゆるドリームポップのような「幻想的」な方向にもいきそうなところ、『Binjari』にはあくまで一定の現実感もあります。アコースティックなサウンドと自然なリバーブがその印象を強く持たせるのだと思います。これらの点から、あなたは流行りのサウンドを追っていたり現代性を無理に纏おうとしているのではなく、ご自身の視点でしっかりと音楽を捉えていると感じました。こういった姿勢はどれくらい意識的に取り組んでいらっしゃるのでしょうか?
自分でもはっきりとはわかりません。話を聞いていると少し不安になりますね。今回のアルバムが自分にとって完璧な音楽だとは思えません。もっと豊かで多様なサウンドを作りたいし、流行のサウンドを取り入れながら自分なりのメロディを作るのも好きなんです。インタビュアーの方も音楽をされているとのことなのでご存じかもしれませんが、このアルバムのようなプロデュース方法は、比較的労力をかけずに良い雰囲気を出せるひとつの手法だと思います。いただいた感想についても、私の音楽の魅力というより、既存のインディーフォークというジャンル特有の魅力に近いのかな、と感じています。
—— Bandcamp上ではKimbanourkeのアーティストページ内でMay Lilyという演奏家の作品が紐づけられています。恐らくこれはあなたの別の名前による作品ではないかと思うのですが、May Lilyはよりポストロックやシューゲイザー寄りのアプローチに依る音楽です。音楽性だけでなく、サウンドの質感もKimbanourkeとは異なっています。Kimbanourkeのサウンドには生っぽさや艶、空気感があるのに対してMay Lilyのサウンドはかなり硬質で張り詰めているものです。これらを踏まえればKimbanourkeとMay Lilyが別名義であることは自然のように思えますが、その一方で名義を分けることには主観的な視点よりも客観的な視点の方が大きく影響しているとも思います。ひとりの音楽家が制作する音楽へ多岐に渡るアプローチを取っている場合でも、制作している本人の立場からするとそれらの音楽には何も違いを感じていないというケースもあります。あなたにとって、このふたつの名義を分けている理由は一体何だと思いますか?
ノイズによって2つに分かれます。ノイジーな音楽と、そうでない音楽に。性質が全く異なる2つのエゴを作り、同時に活動しようという欲求は2020年から持っていました。当時の基準は単純にポップとロックでしたが、今ではKimbanourke名義でロックを出さないというわけではありません。ただしそれはノイジーなものではないでしょう。
2つのスタイルを1つのプロジェクトで適度に混ぜてみたこともありましたが、その結果、あまりにも粗雑でイマイチな作品が出来上がり、Bandcampに適当にアップして、スタイルを統一する方向性は追求しなくなりました。これからは両方のスタイルで、より一貫性があり、多様な音楽を作ることができそうです。そうなると境界線が曖昧になる可能性もあるのかもしれません。
—— サウンドと歌詞を含めてこの作品を聴いていると、少年期から青年期へ、そして大人へ…と移り変わっていく人の不安定で繊細な心理が終始存在しているように感じます。そして、この作品が持っている繊細な空気感をジャケットに使用された非常に美しい写真が見事に表現しているとも思います。『Binjari』(=Absence / 不在の意)という作品名を踏まえて伺いますが、写真に映っている少年は実存しているものを見つめているのか、何もない空間を見つめているのでしょうか? または過去と未来のどちらを見つめているように感じますか? 差し支えなければ教えてください。
うーん...それは私が全部言うとちょっと。最後のトラックのタイトルが間接的で大まかな答えになるような気がします。
—— 個人的な邪推ですが、”Kimbanourke”という名義からはジム・オルーク (= Jim O’Rourke) を想起せずにはいられません。サウンドの傾向もまさにそうだと感じるのですが、私の推測は当たっていますか…?
あっています。ジム・オルークの万能に近い音楽的な才能を高く評価しています。彼が一番好きなミュージシャンというわけではないのですが、最も似てみたいと思うミュージシャンの一人です。 今回のアルバムでジム・オルークのサウンドを意識していたわけではありませんが。
—— 最近はどんな音楽を聴いていますか?
最近はランダムに音楽を聴いています。プログレッシブ・ロックが一番好きですが、それだけでなく、ニューウェーブやジャングル、ディスコなどにも興味が湧いて聴いています。
—— これはかなり個人的な質問です。去年から今年にかけて、私はよくマンディ, インディアナとスティル・ハウス・プランツというバンドを聴いていました。エクスペリメンタルな要素と音響的な要素もあるユニークなバンドです。あなたもこういうタイプのバンドのことが好きなのではないかと勝手に考えたのですが、是非聴いてみてくれないでしょうか?
マンディ, インディアナは聴いてみます。 ありがとうございます!スティル・ハウス・プランツの3みたいなアルバム(『If I don’t make it, I love u』)は前に聴いたことがありますが、変な感じでしたね。肯定的な意味でも否定的な意味でもありません。
—— もし日本で演奏する機会があるとしたら、共演したいアーティストはいらっしゃいますか?
恐縮ではありますが、もうすぐ完成するMary Lily(最近名義をMay Lilyから変更しました)の新譜を携えて、あまり知られていない日本のシューゲイズアーティストと一緒にサイレント・ノイズ・パーティーをしたいと思っています。 彼らが望むかどうかはわかりませんが。
レコード情報
KIMBANOURKE / BINJARI (ABSENCE)

KIMBANOURKE / BINJARI (ABSENCE) / GG002 JP ORIG.
24年GG RECORDSからリリースされる日本・オリジナル。GG RECORDS第二弾アーティスト。
김반월키 / Kimbanourke(キムバヌーク)/ 『빈자리(ビンジャリ)/ BINJARI(ABSENCE)』
1999年韓国生まれ。空中泥棒(公衆道徳)とスフィアン・スティーヴンスの影響を受けて、ギターとハーモニーで音を作りはじめる。別のシューゲイズプロジェクトも進行しており、そこで培った技術もこのソロ・1stアルバムにもポジティブに影響している。2024年にデジタル配信のみでリリースされたアルバム『빈자리(ビンジャリ)/ BINJARI(ABSENCE)』では満たされない心の想いを歌っている。アコースティックなサウンドにのせて歌われる韓国語が新しくも懐かしい気持ちになる素晴らしいアルバムです。デジタル配信半年後に京都のGG RECORDSからリリース。
■商品ページはこちら